日 々 の 祈 り

竹 部 教 雄   


 金光教祖は、「信心して神になれ」と教え諭しております。いきなりこんなことを申しますと、おそらく皆さんは、「人間が神になるなど、とんでもない。人間とは全く違っておればこそ、神ではないか。また、神のようにいかんところが人間ではないか」とお思いになるでしょう。
 しかし、皆さん、神様とは一体どういうお働きをなさるものなのでしょうか。人間の生きる働きをありのままによく調べてみますと、そこには、人間の意志や力でないものが働いていることに気付かされるのであります。私たちだれ一人として人間に生まようとして生まれてきたのではないという一事をとってみても、そのことを認めないわけにはいきません。
 自然科学は、それは自然の働きであるといいます。なるほど生命体そのものは、自然の力のしからしめるところだとしても、その自然の力をそのように働かせもし、そこに、うれしいとか悲しいとか、こうありたいとか、ああありたいとかいうような不思議な作用までも起こさせている点を考えると、人間の営みの根源には、人間の意志や力以上の何か大きな別の力が働いているということを、認めないわけにはまいりません。
 金光教祖は、その働きこそが神の働きであり、その働きを十分に受け取るところに人間生活の立ち行きがあることに気付かされ、助けを求めてくる人々はもとより、家族の方々にもその生き方を懇切丁寧に伝えもし、導きもすると共に、このような神の働きをよりよく表わしうる人間になっていくようにとの深い祈りを込めて、「信心して神になれよ」と論したのであります。
 今日は金光教祖の末娘である古川このの晩年の述懐を通して、教祖の信じた、神を頼りとする生き方の一端に触れてみたいと思います。


○熟睡のできるけい古をせよ


 ごく一般の日本人の信仰心にとって、およそ抜きにできぬものの一つに守り札がありますが、金光教祖は、「信心する人は常に守りを心にかけておれよ」と諭し、守り札を下げ渡すことはいたしませんでした。
 この点について、古川このは次のごとくに語っています。
「『世間には火難よけや盗難よけの守り札を宮寺からいただいてきて、表戸に張りつけておるものがあるが、こちらの道にはそういう守り札はない。信心するものは、夜寝床に入る前に神様を拝んだら、火の気のあった所や戸締りを見回ってから寝よ。それから後は神様が夜通し守って下さるから安心じゃ』と教祖様がよくおおせになりました」
 夜のお守りをいただく上でのこのような心の守りについての古川このの話は、さらに睡眠に及んでおります。
 睡眠は我々の体の疲れを直してくれ、心持ちの乱れをも整えてくれ、心身ともに新たなる生気に満ちたものにしてくれる大切なお恵み、神様のお守りなのでありますが、そのようなお守りをいただいておるものの心得を次のごとくに語っています。
「『熟睡ができぬと明日の日が務まらぬぞ」と、教祖様は常々おおせになって、私どもによく『熟睡のできるけいこをせよ』と教えられました。熟睡ができれば、人間は一日に三時間か四時間も寝れば十分であります。七時間も八時間も寝なけれぱならぬというのは、つまり、ねかたが調わず、熟睡ができぬからであります。
 世間には寝るということは私事で、わが勝手のことのように考えておる人もありますが、それは考え違いであると教えられたのであります。働くということが大切であればあるほど、寝ることを大切に思わねばなりません。ねかたの調わぬ時は、働きの方もしゃんと致しませぬ。昔からよく寝る子は健康なと申しますが、体のどこかに故障があると寝られぬことを思いますれば、寝させていただくことをありがたいと心得て、仕事大切と思えば、よいねかたのできる工夫をし、熟睡をして元気な心で日々の働きが満足に務まるよう、おかげをいただかねぱなりせぬ」


○無理があっては成就しない


 最後に、目が覚めてからの生活の上で、古川このが大切にしていた心の守りの一つを申し上げます。私ども日本人の生活感情の中に、不浄を忌み嫌い、清浄をもって尊しとするところがありますが、教祖の信じた神を頼りとする生き方からすれば、これも守り札同様の問題なのであります。
 金光教祖は「穢(けが)れ不浄をいうな。手足体をあらうより、はらのうちをあらうことをせよ」と教え、さらに、「『ふじょう』というのは、『きよからず』と書くのではない。 『ならず』と書くのぞ。ものごと、成就せざるを『不成』というのぞ」と諭しておりますが、この点について、古川このは、次のごとくに語っています。
 「何事にも無理をせぬよう用心せよ、と教祖様はよくおおせられました。私どもの働きの上におきまして、そのことが具合よく行かなかったり、故障が起きたり、行き詰まったり、また人体を損ねたりすることが時折起こります。そういう時にその原因を尋ねてみると、必ず働きのうちのどこかに無理があったことに気が付きます。
 また早急のことや大切のことになると、最初から無理と知りつつ、それを押し通そうとすることがお互いにはよくあることですが、こんな危ないことはありませぬ。どんなによいことでも、大きな仕事でもささいなことでも、どんな場合でも、無理があっては結局、物事は成就いたしませぬ。仕事大事と思えば、何事にも無理のないように、用心して働かせていただかねばなりませぬ」

 古川このは、このような生き方によって神様のお守りを受け通し、さらに多くの人々にもその生き方を伝えて、昭和二十一年十月二十五日、八十九歳でもって天寿を全うしたのであります。
 古川このが布教した福山本町教会(広島県・福山市)は、その子孫によって受け継がれ、今日に及んでおります。
[1976(昭51)年10月17日、山陽放送「金光教の時間」で放送された話]


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